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- 京田村(近世)とは
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京田村(近世) 江戸期~明治9年の村名経田村とも書いた庄内地方,庄内平野北部,庄内高瀬川上流と月光川中流の中間に位置する地名の由来は,京都へ送る米を出した所という説や,羽黒山の経田であった(出羽国風土略記)ことによるという説,田川郡の京田からの移住者により開村されたという説などがあるはじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文4年からは飽海【あくみ】郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領遊佐郷に属す村高は,元和8年の御知行目録では経田として256石余,寛永元年の庄内検地高辻では262石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに254石余享和3年の御郡中村数家数人高控帳(遊佐町,斎藤家文書)では,家数12軒・人数62八幡神社は大鷦鷯命を祀り,本地仏の石の観音がある鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年吉出村に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
京田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
京田村(近世) 江戸初期の村名経田とも書いた庄内地方,庄内平野北部,日向【につこう】川下流左岸に位置する遊佐【ゆざ】郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領荒瀬郷に属す村高は,元和8年の御知行目録には経田村と見え113石余,寛永元年の庄内検地高辻では169石余なお正保庄内絵図には当村名が見える江戸初期に福升【ふくます】村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
京田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」